私自身は、まったく管理職には向いていません。
目指しているのは、「プロの下っ端」です。
何十年も、ずっと下っ端で働き続ける。
下っ端道を極めたいと思います。
石田夏穂(小説家・会社員)2025年5月27日(火)朝日新聞「耕論」
この言葉を読んだとき、少し笑ってしまいました。
でも同時に、
「これ、自分のことだな」
とも思いました。
教師のキャリアというと、どうしても、
主任になる。
管理職になる。
指導主事になる。
学校経営に関わる。
そんな「上へ行く道」がイメージされます。
もちろん、それも立派なキャリアです。
ただ、全員がそこを目指す必要はありません。
私は40歳のとき、一度だけ管理職試験を受けました。
そして、見事に落ちました。
今振り返ると、あの不合格はかなり大きな分岐点だったと思います。
40歳で管理職試験を受けた
受けたのは、「教頭・指導主事任用試験」です。
誰かに推薦されたわけではありません。
当時の私は、教育センターでカウンセリング業務に就きたいという思いが強く、そのために管理職試験を受ける必要がありました。
午前は論文課題が2本。
午後は面接。
当時は、面接官3人に対して受験者1人という形式でした。
事前には「学校教育法施行規則」なる分厚い本も読みました。
でも、ほとんど頭に入りませんでした。
面接では5つの質問を受けました。
そして、5つともまともに答えられませんでした。
当然、不合格です。
当時はそれなりに落ち込みました。
でも、その後17年間ヒラ教員として働き続けた今となっては、
「結果オーライだった」
と感じています。
管理職にならないと、キャリアは止まるのか
学校には、見えないキャリア観があります。
年齢を重ねる。
経験を積む。
責任ある立場を任される。
その先に管理職がある。
この流れ自体は自然です。
ただ、そこから外れると、
「昇進しなかった人」
「上を目指さなかった人」
「管理職に向いていなかった人」
と見られやすいところがあります。
でも、本当にそうでしょうか。
役職が上がることだけが、キャリアの成長なのでしょうか。
私はそうは思いません。
管理職が「罰ゲーム化」する構造
現在の管理職について、こんな指摘があります。
日本の管理職は「罰ゲーム化」しています。
(中略)
本当に問題なのは、外部環境が厳しくなった時、企業の内部の判断が、管理職の負荷を上げる方にばかり向かうことです。
小林祐児(パーソル総合研究所首席研究員)同
学校現場でも、似た構図はあると思います。
何か問題が起きる。
管理職に負荷が集まる。
さらに研修が増える。
さらに責任が増える。
現場の調整も求められる。
保護者対応もする。
教育委員会とのやり取りもある。
職員の働き方にも目を配る。
学校経営も考える。
そして、うまくいかなければ、
「管理職の力量不足」
とされる。
これでは、なり手が減るのも不思議ではありません。
「助け合い」で解決できる問題ではない
管理職の負担について、
「みんなで助け合おう」
「周囲が支えよう」
という話になることがあります。
もちろん、支え合いは大切です。
でも、構造的な負荷を、個人の善意だけで解決することはできません。
仕事が多すぎる。
責任が集中しすぎる。
権限と責任が釣り合っていない。
上からの要求と現場の実態の板挟みになる。
こうした構造があるなら、そこを変えなければいけません。
管理職個人を鍛え続けるだけでは、限界があります。
管理職も、誰かの部下である
もう一つ、印象に残った言葉があります。
会社って、管理職であっても役員であっても、誰かの部下なんですよね。
誰の支配からも自由な人なんていない。それが見えてくると、理不尽なことを言われても、「この人も誰かに言わされているんだろうな」と思えるようになり、少し楽になるかもしれません。
石田夏穂(小説家・会社員)同
学校でも似ています。
教頭は校長の部下。
校長は教育委員会との関係の中で仕事をする。
教育委員会にも上位の方針がある。
誰かがトップに見えても、その人だけが完全に自由なわけではありません。
この構造を知ると、
「役職が上がれば自由になる」
という幻想も薄れていきます。
むしろ、役職が上がるほど、裁量と同時に新しい制約も増える。
そういう面があります。
40歳で落ちたあと、私は「上」を目指さなくなった
管理職試験に落ちたあと、私は別の道を選びました。
60歳までの20年間、
「ヒラ教員を極めよう」
と決めたのです。
管理職にならない。
でも、成長は止めない。
役職は上げない。
でも、仕事の質は上げる。
肩書きは変わらない。
でも、自分の裁量と自由度は広げる。
私にとっては、この方向のほうがしっくりきました。
「プロの下っ端」というキャリア
そこで出会ったのが、
「プロの下っ端」
という言葉です。
私は、この言葉がとても気に入っています。
下っ端というと、
指示される側。
立場が弱い。
権限がない。
そんなイメージがあります。
でも、「プロの下っ端」は違います。
役職はない。
でも、専門性はある。
大きな権限はない。
でも、自分で判断できる領域は最大限使う。
組織のトップには立たない。
でも、現場では価値を出し続ける。
これは、かなり魅力的な働き方です。
ヒラ教員には、意外と裁量がある
教師は、組織の中では制約が多い仕事です。
でも、日常の細かな部分まで見ていくと、意外に裁量があります。
授業をどう組み立てるか。
どんな教材を使うか。
生徒にどう声をかけるか。
どの仕事にどれだけ時間を使うか。
誰に相談するか。
どこまで作り込むか。
どんな学びを自分に足すか。
全部自由ではありません。
それでも、「自分で決められる領域」はかなりあります。
そこを広げる。
これが、「プロの下っ端」の面白さです。
役職ではなく、主体性を取りにいく
私が最も大切にしているのは、主体性です。
やらされている感覚で仕事をすると、消耗します。
同じ仕事でも、
「自分で選んでやっている」
と思えると、感覚が変わります。
もちろん、学校にはやらなければならない仕事もあります。
でも、その中でも、
どこに力を使うか。
どう進めるか。
どこで人に頼るか。
どこで切り上げるか。
そこは自分で決められます。
主体性とは、何でも自由にできることではありません。
制約の中にある選択肢を、自分で選ぶことです。
自己裁量を最大化する
私が仕事で意識しているのは、
「どこまで自分で決められるか」
です。
これは、管理職にならなくてもできます。
むしろ、ヒラ教員だからこそ、
組織全体の最終責任を背負わずに、
自分の担当領域の中で工夫できます。
授業。
生徒との関係。
校務。
時間の使い方。
自己研鑽。
そこに小さな裁量を見つける。
それを積み重ねる。
すると、「組織に使われている感覚」が減っていきます。
私が仕事に求めるのは「自己成長」
私が仕事に求めているものは、出世ではありません。
自己成長です。
昨日より少しうまくなる。
知らなかったことを知る。
できなかったことができる。
新しい人とつながる。
違う世界を見る。
考え方を変える。
仕事を続けながら、自分が変わっていく。
これが面白い。
だから、役職がなくても、仕事は十分に面白くできます。
「管理職にならない」と「成長しない」は違う
ここは強調したいところです。
管理職にならないことと、成長しないことはまったく違います。
昇進しなくても、
授業力を伸ばせる。
心理学を学べる。
ICTを学べる。
外部の人とつながれる。
発信できる。
若手を支援できる。
新しい領域へ越境できる。
キャリアを横に広げることができます。
上に行くキャリアだけでなく、横に広げるキャリアもあります。
「ヒラ」のまま、専門性を深める
学校には、管理職とは別の成熟の仕方があります。
専門性を持つことです。
教科。
生徒支援。
教育相談。
ICT。
特別支援。
キャリア教育。
学校心理学。
何か一つでも、
「あの人に聞けばいい」
と思われる領域を持つ。
役職ではなく、専門性で存在感を出す。
それも立派なキャリアです。
60点で動く
私は、完璧を目指さないことも大切にしています。
100点になるまで動かない。
完璧な準備が整うまで始めない。
これをやっていると、時間がなくなります。
だから、
60点でいいから動く。
早めに見せる。
修正する。
人に聞く。
また直す。
このほうが、仕事は進みます。
そして、自己成長も速くなります。
完璧主義は、ヒラ教員の自由を奪う
役職がないぶん、
「仕事の質で認められたい」
と思う教師もいます。
その結果、
授業を完璧にする。
資料を完璧にする。
教材研究に時間をかける。
全部自分で抱える。
そうすると、自分で自分の自由を奪ってしまいます。
プロであることと、完璧であることは違います。
必要なところに力を入れ、
それ以外は60点で終える。
その判断ができる人ほど、長く働けます。
勤務時間内に仕事を終える
私は、
「勤務時間内に仕事を終える」
ことも大切にしています。
仕事が終わったら帰る。
ではなく、
勤務時間内で終える前提で仕事を組む。
この違いは大きい。
限られた時間の中で、
何をやるか。
何をやらないか。
どこまで仕上げるか。
誰に頼るか。
それを決めます。
時間の制約があるから、優先順位が生まれます。
「下っ端」は無責任でいい、という意味ではない
「プロの下っ端」と言うと、
責任を取らない。
面倒なことから逃げる。
そんな印象を持つ人もいるかもしれません。
もちろん、そうではありません。
自分の担当には責任を持つ。
必要な仕事はやる。
生徒にも誠実に向き合う。
でも、必要以上に組織全体を背負わない。
自分にない権限まで背負ったつもりにならない。
ここが大切です。
責任の範囲を見誤らないことも、プロの仕事です。
出世しない自由
学校では、年齢を重ねると、
「そろそろ管理職を」
と言われることがあります。
でも、
「自分は管理職を目指しません」
という選択があっていい。
それは逃げではありません。
自分の適性を見ているだけです。
人を率いるより、現場で専門性を発揮するほうが向いている。
組織全体を動かすより、生徒と直接関わりたい。
大きな責任より、裁量ある実務を選びたい。
その選択にも価値があります。
キャリアは「上に行くこと」だけではない
キャリアという言葉には、どうしても上昇のイメージがあります。
でも、本当はもっと広いものです。
上に行く。
横に広げる。
深く掘る。
いったん止まる。
別の場所へ移る。
仕事の比重を減らす。
学校外の活動を増やす。
全部キャリアです。
「上へ行かないなら停滞」
という考え方を手放すだけで、教師の働き方はかなり自由になります。
ベテランになったら、「上」より「深さ」
若い頃は、上を目指すことにも意味があります。
難しい仕事を引き受ける。
責任ある立場に挑戦する。
競争する。
それも成長です。
でも、年齢を重ねたら、
「どこまで上へ行くか」
より、
「どこまで自分らしい仕事を深めるか」
へ軸を移してもいい。
私は、そちらのほうが自然だと感じています。
「プロの下っ端」は、かなり自由だ
管理職ではない。
最終責任者でもない。
でも、現場では経験がある。
専門性もある。
若手から相談もされる。
自分の判断で動ける部分もある。
これ、実はかなり自由です。
上からの指示を全部変えることはできない。
でも、現場での工夫はできる。
組織全体は動かせない。
でも、自分の周囲は変えられる。
この自由を最大限使う。
それが、私の考える「下っ端道」です。
自分のキャリアは、自分で定義する
学校が用意したキャリアモデルに、自分を合わせる必要はありません。
管理職になりたい人は、なればいい。
専門職として深めたい人は、深めればいい。
学校外の活動を広げてもいい。
定年前に別の準備を始めてもいい。
大切なのは、
「自分はどう働きたいのか」
を自分で決めることです。
肩書きではなく、納得感でキャリアをつくる。
今日も「プロの下っ端」をやる
今の私が自分に言い聞かせていることは、シンプルです。
✔ 主体性を維持する
✔ 自己裁量を最大化する
✔ 自己成長を最優先する
✔ 60点でいいから動き出す
✔ 勤務時間内に仕事を終わらせる
管理職でなくても、教師としてのキャリアは十分につくれます。
役職がなくても、成長できます。
上に行かなくても、深くなれます。
肩書きが変わらなくても、自分の働き方は変えられます。
だから私は、これからも「プロの下っ端」を目指します。
下っ端だからこそ使える自由を使う。
下っ端だからこそ現場にい続ける。
下っ端だからこそ、肩書きではなく専門性で勝負する。
そして、何十年働いても、
「まだ成長できるな」
と思える自分でいたい。
上に行かないキャリアもある。
むしろ、そこにしかない面白さもある。
私は今日も、「プロの下っ端」を堪能したいと思います。



