「教師の多様なキャリアパス」について調べてみよう。
そう思って、私はPerplexityで検索してみました。
そこで出てきたのが、文部科学省の「『令和の日本型学校教育』を担う教師の在り方について」という資料でした。
令和4年12月20日付けで公開されたものです。
内容を理解しやすくするために、NotebookLMで概要を音声化し、さらにNottaで文字起こしもしてみました。
そこには、これからの教師に必要な資質能力、教員養成、採用、研修、チーム学校など、かなり幅広い改革が整理されていました。
読んでみると、確かに「これからの教師像」は見えてきます。
しかし、私が探していたものとは、少し違いました。
私が知りたかったのは、
「教師は、人生100年時代をどう生きるのか」
という話だったからです。
文科省資料が描いていたのは「新しい教師像」
資料が目指している方向は、比較的はっきりしています。
変化の激しい社会の中で、子ども一人ひとりの可能性を伸ばす。
そのために、個別最適な学びと協働的な学びを進める。
ICTや教育データを活用する。
特別な配慮が必要な子どもにも対応する。
教師自身も学び続ける。
そして、教師だけで抱え込まず、多様な専門スタッフと連携する。
つまり、従来の「教える人」から、
生徒の学びを支える伴走者やファシリテーターへ。
教師像そのものを更新していこう、という内容です。
この方向には、私も大きく共感します。
「教師自身も主体的に学ぶ」という方向性
特に興味深かったのは、教師の研修についてです。
免許更新制の発展的解消後は、画一的な講習を受けるだけではなく、教師一人ひとりが自分の研修履歴を踏まえながら、主体的に学び続ける方向が重視されています。
これまでよりも、
「全員が同じものを学ぶ」
から、
「自分に必要なものを学ぶ」
へ。
教師の学び方そのものを、個別化していこうとする発想です。
さらに、留学経験やSTEAM、心理、福祉など、異なる専門性を持つ人材が教職に入りやすくなる仕組みや、採用試験の複線化なども示されています。
つまり、教職に入る道も、教職の中で学ぶ道も、多様にしようとしている。
ここまではよく分かります。
でも、それは「誰のためのキャリア」なのか
読み進めながら、私は少し引っかかりました。
教師に新しい力が必要になる。
だから研修を変える。
多様な人材が必要になる。
だから採用を変える。
学校教育を変えたい。
だから教師も変わる。
この論理は通っています。
ただ、主語は最後まで、
「子どものため」
「学校教育のため」
「教員確保のため」
に見えました。
では、
「教師本人は、どんな人生を送りたいのか」
という問いは、どこにあるのでしょうか。
「教師の在り方」と「教師の生き方」は違う
私はここに、大きな違いがあると思います。
制度が考えるのは、
「これからどんな教師が必要か」
です。
一方、教師個人が考えたいのは、
「私は、これからどう生きたいのか」
です。
似ているようで、まったく違います。
ICTが使える教師。
個別最適な学びを支援できる教師。
多様な子どもに対応できる教師。
主体的に研修する教師。
それは「望ましい教師像」です。
でも、
40代からどう働くのか。
50代で何を手放すのか。
管理職を目指すのか。
専門性を深めるのか。
学校外の活動を持つのか。
家族との時間をどう守るのか。
定年前後に何を始めるのか。
心身の状態に合わせて働き方を変えるのか。
これは「生き方」の話です。
教師のキャリアは、昇進ルートだけではない
「教師のキャリア」という言葉を使うと、
主任になる。
管理職になる。
指導主事になる。
研修を受けて専門性を高める。
といったものが思い浮かびやすい。
もちろん、それもキャリアです。
しかし、キャリアは役職の階段だけではありません。
同じ教師を続けながら、仕事との距離を変えることもキャリアです。
学校外に学びの場を持つこともキャリアです。
発信することも。
大学院で学ぶことも。
地域で活動することも。
いったん立ち止まることも。
退職後に別の仕事を始めることも。
すべてキャリアです。
キャリアとは「仕事の履歴」ではなく「生き方の軌跡」
私は、教師のキャリアをもっと広く考えたいと思っています。
キャリアとは、履歴書に書ける役職の一覧ではない。
その人が、
何を大切にし、
どこで力を使い、
どこで休み、
誰と生き、
何を学び、
どんな役割を引き受けてきたか。
その積み重ねです。
つまり、教師のキャリアは、その人の生き方そのものです。
仕事と私生活を切り離しすぎると、教師は苦しくなる
学校では、
「勤務時間は仕事」
「それ以外は私生活」
と分けて考えがちです。
もちろん、境界線は必要です。
むしろ、働きすぎを防ぐためには重要です。
ただ、人生設計まで完全に別物として考えることはできません。
子どもが生まれる。
親の介護が始まる。
自分が病気になる。
パートナーの仕事が変わる。
学びたいことが出てくる。
学校の外でやりたいことができる。
人生側の変化によって、仕事との向き合い方は当然変わります。
それを、
「教師なのだから、これまでどおり働くべき」
と固定すると、無理が生まれます。
「教師としてどう成長するか」だけでは足りない
教員研修では、
授業力をどう高めるか。
生徒指導力をどう高めるか。
ICTをどう使うか。
特別支援教育をどう学ぶか。
といった問いが中心になります。
でも、本当はもう一つ必要です。
「これから私は、どんな働き方をしたいのか」
「教師という仕事を、自分の人生のどこに置くのか」
この問いです。
20代と50代で、答えは同じでなくていい。
むしろ、変わるのが自然です。
若い頃の「全力」と、50代の「全力」は違う
若い頃は、仕事にかなりのエネルギーを使ってもいい時期があります。
授業を磨く。
難しい仕事に挑戦する。
失敗する。
がむしゃらにやる。
それも大切です。
しかし、それを40代、50代、60代まで同じように続ける必要はありません。
中堅になれば、人を育てる。
ベテランになれば、若い人に任せる。
学校外の活動に力を移す。
自分の健康や家族の時間を優先する。
キャリアステージによって、力の使い方が変わっていい。
それが長く働くということです。
「細く長く」が、もっと評価されてもいい
学校文化には、
頑張っている人。
忙しい人。
多くの仕事を引き受ける人。
遅くまで残る人。
そういう教師を評価しやすい面があります。
しかし、教師という仕事は短距離走ではありません。
何十年も続く仕事です。
だから、
一時期ものすごく頑張ることより、
大きく壊れず、細く長く続けられることのほうが重要です。
人生には浮き沈みがあります。
調子のいい時期もある。
仕事に力を入れられない時期もある。
そのたびに自分を責める必要はありません。
キャリアは「一直線」でなくていい
教師人生も、一直線でなくていいと思います。
若い頃は教科指導。
中堅で学年経営。
途中で心理学を学ぶ。
発信を始める。
学校外の人とつながる。
働く量を減らす。
別の専門性を持つ。
定年前に新しい活動を始める。
退職後は別の仕事へ移る。
こうした形も、立派な教師のキャリアです。
むしろ人生100年時代なら、一つの役割だけを続けるほうが珍しくなっていくかもしれません。
学校の外にキャリアを持つということ
私は、教師が学校外に世界を持つことは、とても重要だと考えています。
それは、教師を辞める準備ではありません。
学校以外の評価軸を持つためです。
教師として評価される自分。
文章を書く自分。
学ぶ自分。
地域で活動する自分。
家族と過ごす自分。
一人の人間としての自分。
複数の自分を持っていると、「教師」という一つの役割だけに人生を支配されにくくなります。
「教師であること」と「自分であること」を分ける
教師は公共性の高い仕事です。
だから、どうしても「教師らしさ」を求められます。
でも、教師は人生の一部です。
人生そのものではありません。
教師である前に、一人の人間です。
だから、
教師として成功すること。
と、
人生に納得していること。
は同じではありません。
学校で高く評価されていても、人生全体では苦しい人もいます。
逆に、学校では目立たなくても、家庭や学校外の活動も含めて充実した人生を送っている人もいます。
どちらが「よいキャリア」かは、本人が決めることです。
離職を「失敗」にしない
教師のキャリアを人生全体で考えるなら、離職もまた、一つの選択肢です。
もちろん、勢いだけで辞めればいいという話ではありません。
ただ、
「教師を辞めたらキャリアが終わる」
という発想は手放したほうがいい。
教師として身につけたものは、学校の外でも使えます。
人前で話す。
複雑なことを説明する。
人の成長を支援する。
集団を運営する。
保護者や同僚と調整する。
文章を書く。
計画を立てる。
これらは学校だけの能力ではありません。
逆に、「残り続ける」ことも一つのキャリア戦略
一方で、辞めずに残ることも立派な戦略です。
勤務時間を減らす。
仕事を選ぶ。
役職を求めない。
学校外に居場所をつくる。
自分の専門領域だけを大切にする。
「教師であること」を人生のすべてにしない。
そうすることで、長く続けられる人もいます。
「辞めるか、壊れるまで頑張るか」
の二択にする必要はありません。
教師に必要なのは「自分の人生の設計図」
制度には、学校教育のロードマップがあります。
どんな教師を育てるか。
どんな研修をするか。
どんな人材を採用するか。
でも、教師本人にもロードマップが必要です。
何歳頃まで、どんな働き方をするか。
どんな専門性を伸ばしたいか。
どこで力を抜くか。
どんな人とつながるか。
学校外に何を持つか。
退職後、何をしていたいか。
もちろん、その通りに進む必要はありません。
途中で書き換えていい。
むしろ、何度も更新するものです。
「教師のキャリア形成」を教師自身の手に戻す
制度が考える教師のキャリアは、どうしても、
「どうすれば学校教育をよりよく支えられるか」
という視点になります。
それは当然です。
でも、教師本人が考えるキャリアは、
「私は、どうすれば納得して生きられるか」
から始まっていい。
その二つが重なるところを探す。
学校のためだけでもない。
自分のためだけでもない。
両方が続く場所を探す。
それが、本当の意味でのキャリア形成なのだと思います。
子どもの「個別最適」を語るなら、教師にも個別最適を
教育では、「個別最適な学び」という言葉が重視されています。
子ども一人ひとりに合った学び方を。
興味も進度も違う。
だから、それぞれに合った学びを支える。
とても重要な考え方です。
ならば、教師の働き方やキャリアも、もう少し個別最適であっていいのではないでしょうか。
全員が同じ働き方をする必要はない。
全員が管理職を目指す必要もない。
全員が同じ専門性を深める必要もない。
家庭状況も、健康状態も、人生で大切にしたいものも違います。
教師にも、それぞれのキャリアがあっていい。
「学び続ける教師」の前に、「生き続けられる教師」を
教師が学び続けることは大切です。
社会が変化する以上、専門性も更新し続ける必要があります。
でも、その前提として、
教師自身が健康で、
自分の生活を持ち、
未来を楽しみにできること。
ここが必要です。
疲れ果てた教師に、
「さらに学び続けなさい」
と言っても続きません。
まず、自分の人生を維持できる。
その上で学ぶ。
その順序も大切ではないでしょうか。
生き方が、仕事と私生活を統合する
私は今、教師のキャリアについて、こう考えています。
教師のキャリアは、その人の生き方そのもの。
仕事と私生活は、切り離された二つの世界ではなく、車の両輪。
どちらか一方だけを犠牲にすると、長くは走れません。
そして、人生には浮き沈みがあります。
調子のいい時もあれば、立ち止まる時もある。
だから、一喜一憂せず、細く長く。
役職。
研修歴。
専門性。
異動。
そうしたものだけがキャリアではありません。
家族。
健康。
学び。
学校外の活動。
休息。
挑戦。
そして、自分がどう生きたいか。
それらすべてを統合したものがキャリアです。
「教師のキャリア」は、制度ではなく人生の側から考える
文部科学省の資料からは、これから求められる教師像や、それを支える制度改革の方向性がよく見えました。
それは重要です。
ただ、そこからさらに一歩進んで、教師自身が考えたい。
私は、どんな教師になりたいのか。
ではなく、
私は、どんな人生を送りたいのか。
その中で、
教師という仕事をどこに置くのか。
この順序で考えてもいいはずです。
「教師のキャリア」は、役職の一覧でも、研修履歴でもありません。
一人の人間が、教師という仕事を人生の中にどう位置づけ、どう付き合い続けるか。
その問いに、自分なりの答えをつくっていくこと。
それこそが、本当の意味での「教師のキャリア形成」なのだと思います。



