教師に必要な「忘れる力」
過去の正解を手放すと、目の前の生徒が見えてくる
忘れないと新しいことが見えないんじゃないかな。
柄谷行人回想録 私の謎 最終回2025年8月20日(水)朝日新聞
この言葉を読んだとき、教師という仕事に深くつながる言葉だと感じました。
「忘れないと新しいことが見えない」。
これは、経験を否定する言葉ではありません。
むしろ、経験を積み重ねてきた人ほど、立ち止まって考えるべき問いです。
教師は、日々の実践の中で多くの知識や技術を蓄積します。
授業の進め方。
生徒への声のかけ方。
学級や学校を動かす方法。
トラブルへの対応。
経験が増えるほど、判断は速くなります。
しかし、その速さが、ときに「過去の正解への依存」に変わります。
経験は、教師を助ける
経験は、教師にとって大切な財産です。
同じような場面に出会ったとき、過去の記憶が判断を助けてくれます。
以前うまくいった方法を使えば、時間も労力も節約できます。
経験があるからこそ、生徒の小さな変化にも気づけます。
だから、経験を持つこと自体が問題なのではありません。
問題は、経験を「今回も通用する正解」として固定してしまうことです。
昨年うまくいった授業が、今年も同じように届くとは限りません。
以前の生徒に効果があった言葉が、目の前の生徒には重荷になることもあります。
学校を取り巻く環境も、家庭の状況も、生徒の価値観も変化しています。
過去の経験が役に立つのは、それを答えではなく、仮説として使えるときです。
過去の正解が、生徒を見る目を曇らせる
教師は、生徒を理解しようとします。
しかし、経験を積むほど、目の前の生徒を過去の事例に当てはめやすくなります。
このタイプの生徒は、以前にもいた。
この反応なら、原因はきっと同じだ。
この場合は、こう指導すればよい。
判断が速いことは、専門性の一つです。
一方で、その判断が早すぎると、生徒が本当に抱えているものを見落とします。
過去の生徒と、今ここにいる生徒は別の人間です。
似た行動をしていても、その背景は違うかもしれません。
反抗的に見える態度の奥に、不安があるかもしれない。
やる気がないように見えても、失敗への恐れがあるかもしれない。
黙っているからといって、何も考えていないとは限りません。
過去の正解をいったん手放すことで、教師はようやく目の前の生徒を新しく見ることができます。
忘れるとは、ゼロに戻ることではない
忘れるという言葉には、失う、捨てる、消してしまうという印象があります。
しかし、ここでいう「忘れる」は、経験をなかったことにすることではありません。
経験を持ったまま、それに支配されない状態をつくることです。
「以前は、こうだった」
その記憶を持ちながらも、
「今回は違うかもしれない」
と考えられる余白を残す。
それが、忘れる力です。
過去を否定するのではなく、過去を絶対視しない。
自分の中に蓄積された知識や技術を持ちながら、必要に応じて使い方を変える。
忘れることは、空白になることではありません。
新しいものを受け入れる余白をつくることです。
教師に必要なのは「知っていること」だけではない
教育現場では、知識や指導技術が重視されます。
もちろん、それらは必要です。
しかし、変化の大きい時代に求められるのは、知っていることの多さだけではありません。
知らない状況に出会ったとき、考え直せることです。
これまでの方法が通用しないとき、別のやり方を試せることです。
自分が正しいと思っていたことを、必要に応じて修正できることです。
教育の世界では、「経験豊富であること」が信頼につながります。
ただし、経験豊富な人が常に柔軟とは限りません。
経験が増えるほど、「自分は分かっている」という感覚も強くなるからです。
本当に学び続ける教師は、知識を増やす人であると同時に、自分の前提を疑える人です。
「今までどおり」が危険になる瞬間
学校は、変化の遅い組織です。
昨年まで行っていたから、今年も行う。
前任者がそうしていたから、そのまま続ける。
ほかの学校もやっているから、問題はない。
こうした判断は、学校の安定を支えます。
しかし、環境が変わったとき、「今までどおり」は一気に危険になります。
生徒数が変わる。
家庭環境が変わる。
テクノロジーが変わる。
社会が教師に求める役割も変わる。
それでも、従来の方法を守ること自体が目的になれば、教師も学校も動けなくなります。
変化に適応するためには、何かを加えるだけでは足りません。
新しい研修を受ける。
新しい技術を学ぶ。
新しい制度を導入する。
それだけでは、古い前提の上に新しいものを積み重ねることになります。
時には、何をやめるのかを決めなければなりません。
アンラーニングは、教師の成長戦略である
学び直しというと、新しい知識を身につけることだと思われがちです。
しかし、本当の学び直しには、アンラーニングが必要です。
アンラーニングとは、これまで身につけた知識や習慣をすべて捨てることではありません。
今の環境では通用しなくなった前提を見直すことです。
たとえば、
教師は、すぐに答えを示すべきだ。
生徒は、教師の指示どおりに動くべきだ。
授業は、全員が同じペースで進むべきだ。
忙しく働く教師ほど、熱心である。
学校の外の活動は、本業とは関係がない。
こうした前提は、長い間、学校の中で当然とされてきました。
しかし、本当に今も必要でしょうか。
過去には合理的だった考え方も、環境が変われば、教師と生徒の可能性を狭めることがあります。
アンラーニングとは、「これまで間違っていた」と自分を責めることではありません。
「今の状況に合っているか」と問い直すことです。
忘れる力は、教師のキャリアにも必要になる
過去の正解を手放す必要があるのは、授業や生徒指導だけではありません。
教師自身のキャリアにも同じことが言えます。
定年まで同じ働き方を続ける。
異動や校務分掌は、与えられたものを受け入れる。
学校外の活動は、退職してから考える。
教師として評価されることが、キャリアの成功である。
これらも、長く学校で働くうちに身についた「正解」かもしれません。
しかし、人生の状況は変わります。
年齢。
健康。
家族。
関心。
社会とのつながり。
自分が大切にしたいもの。
それらが変化しているのに、若い頃につくったキャリア観だけを握り続ければ、苦しくなります。
教師のキャリアも、更新してよいのです。
学校の外で学ぶ。
自分の経験を発信する。
新しい人と出会う。
別の役割を持つ。
セカンドキャリアを準備する。
今までの自分を否定せず、その先へ進む。
そのためにも、過去の正解をいったん脇に置く必要があります。
忘れることは、自分を自由にする
教師が過去の正解を手放すと、失うものがあるように感じます。
これまでの努力が無駄になるのではないか。
自分の専門性が否定されるのではないか。
今までの指導が間違いだったことになるのではないか。
そんな不安が生まれます。
けれども、忘れることは、自分を否定することではありません。
自分を一つのやり方から解放することです。
この方法しかない。
教師はこうあるべきだ。
自分にはこれしかできない。
その思い込みが薄れたとき、新しい選択肢が見えてきます。
経験は、自分を縛るためにあるのではありません。
より自由に選ぶためにあります。
次の一手は「何を学ぶか」より「何を手放すか」
私たちは、成長しようとすると、すぐに新しいものを足そうとします。
新しい知識。
新しい技術。
新しい資格。
新しい方法。
もちろん、それも必要です。
しかし、すでに心も時間もいっぱいの状態では、新しいものは入りません。
先に必要なのは、余白をつくることです。
今までのやり方。
自分だけが正しいという感覚。
教師はこうあるべきだという思い込み。
すべてに応えなければならないという責任感。
それらの中から、何を手放せるでしょうか。
忘れることは、後退ではありません。
新しい一歩を踏み出すための準備です。
教師として次に進めるかどうかは、どれだけ多くを抱えられるかでは決まりません。
不要になった正解を、どれだけ手放せるかで決まります。
あなた自身が何を手放せるか。
それが、次の一手を決めます。



