あなたも共犯者
沈黙が「誰も止めない」という許可になる
ハラスメントは、被害を受けた人だけでなく、周囲の人にも悪影響を及ぼします。
柏淳/工藤ぶち『発達障害とグレーゾーンの人が見ている世界大全』
この言葉を聞いたとき、学校現場のハラスメントについて、改めて考えさせられました。
ハラスメントが起きると、私たちはすぐに「誰が加害者で、誰が被害者か」という構図で捉えます。
もちろん、加害行為をした人には責任があります。
被害を受けた人を守り、事実を確認し、必要な対応を取ることも欠かせません。
しかし、学校の組織を長く傷つけるのは、当事者二人の関係だけではありません。
その場にいた人。
気づいていた人。
違和感を持ちながら、何もしなかった人。
そうした周囲の沈黙が、ハラスメントを続けられる空気をつくります。
「何もしない」は、本当に中立なのか
職員室で、管理職が特定の教員だけを強い口調で責める。
会議の場で、一人の意見だけが笑われる。
失敗した教員について、本人のいないところで人格まで否定する言葉が飛び交う。
仕事を断りにくい若手に、負担が集中する。
明らかに不公平な扱いがあっても、周囲は目を合わせず、黙っている。
こうした場面で、多くの人は自分に言い聞かせます。
自分が口を出す問題ではない。
事情をすべて知っているわけではない。
下手に関わると、自分まで標的になる。
その場を荒立てないほうがよい。
自分には何もできない。
どれも、理解できる心理です。
学校は人間関係が閉じており、異動するまで同じ相手と働き続けることも珍しくありません。
声を上げることには、現実的なリスクがあります。
それでも、「何もしない」という選択が中立とは限りません。
誰も止めない状況は、加害する側にとって「続けても問題ない」という合図になるからです。
子どもには「見て見ぬふりをするな」と教えている
学校では、いじめについて学ぶとき、傍観者の存在を重く扱います。
いじめを見たら、先生に伝える。
一人で止められなくても、大人に助けを求める。
笑って同調しない。
困っている人のそばにいる。
見て見ぬふりも、いじめを支える行動になる。
私たちは、生徒にそう伝えます。
ところが、教員同士のパワーハラスメントや管理職によるモラルハラスメントになると、同じ原則が急に曖昧になります。
大人の事情がある。
組織の上下関係がある。
本人にも問題があるのかもしれない。
管理職には管理職の考えがある。
そうやって理由を並べ、沈黙することが現実的な対応として認められていきます。
子どもには勇気を求めながら、大人は保身を選ぶ。
その矛盾を、生徒は意外なほどよく見ています。
被害者を最も苦しめるのは孤立である
ハラスメントを受けた人は、加害行為そのものによって傷つきます。
しかし、それと同じくらい深刻なのが、周囲が何もしてくれないという経験です。
みんな見ていたのに、誰も止めなかった。
あとから声をかけてくれた人はいても、その場では誰も何も言わなかった。
相談したら、「気にしすぎではないか」と言われた。
問題にしたら、かえって自分が職場を乱した人のように扱われた。
こうした経験は、被害者に強い孤立感を与えます。
自分の受け止め方がおかしいのではないか。
耐えられない自分が弱いのではないか。
誰に相談しても意味がないのではないか。
そう考え始めます。
ハラスメントは、相手からの攻撃だけで成立するのではありません。
周囲から支援されないことによって、その苦しさが増幅します。
加害者は「誰も止めない」ことで学習する
ハラスメントをする人も、周囲の反応を見ています。
強い口調で責めても、誰も止めない。
人前で侮辱しても、周囲は黙っている。
特定の人にだけ過剰な仕事を与えても、問題にならない。
その状況が続けば、自分の行動は許されていると学びます。
場合によっては、「自分は組織のために厳しく指導している」と正当化するようになります。
周囲の沈黙は、加害行為への賛成ではないかもしれません。
しかし、加害する側から見れば、反対されていないことに変わりはありません。
沈黙は、意図せず許可として機能します。
周囲の人も、少しずつ傷ついていく
ハラスメントは、被害者だけを傷つけるものではありません。
それを見ている人も、影響を受けます。
次は自分かもしれない。
あの人のように責められないために、余計なことは言わないでおこう。
管理職の機嫌を損ねないようにしよう。
失敗を隠そう。
難しい仕事を断らずに引き受けよう。
こうして、職員室全体が萎縮していきます。
本音を言わなくなる。
相談しなくなる。
新しい提案をしなくなる。
困っている人に近づかなくなる。
組織の中で、互いに距離を取るようになります。
表面上は静かでも、内側では不信感が広がっています。
ハラスメントを放置する組織が失うのは、一人の職員の健康だけではありません。
組織全体の心理的安全性です。
沈黙が組織文化になる
一度の沈黙は、小さな選択に見えます。
しかし、それが繰り返されると、組織の文化になります。
あの人には逆らわないほうがよい。
若手は我慢するものだ。
管理職の言うことは絶対だ。
傷ついても、表に出さないほうがよい。
問題を訴える人のほうが面倒だ。
そうした暗黙のルールが共有されていきます。
新しく来た職員も、その空気を読み取ります。
そして、同じように黙ることを覚えます。
組織の腐敗は、突然始まるわけではありません。
小さな違和感を見過ごすことから始まります。
声を上げることは、正面から対決することだけではない
「声を上げる」と聞くと、その場で加害者を強く批判することを想像する人がいます。
それができる場面もあるでしょう。
しかし、声を上げる方法は一つではありません。
「その言い方は少し強すぎませんか」と伝える。
話題を事実確認に戻す。
会議後に、傷ついた人へ声をかける。
記録を残す。
信頼できる管理職や外部窓口へ相談する。
一人で抱えず、複数人で問題を共有する。
本人が望む支援を確認する。
その場で言えなかったとしても、あとから行動する。
こうした小さな働きかけも、沈黙とは違います。
大切なのは、自分にできる範囲で「この行為を当然とは認めない」という意思を示すことです。
被害者の代わりに勝手に戦わない
一方で、正義感だけで行動すると、被害を受けた人をさらに苦しめることがあります。
本人の意思を確認せず、問題を大きくする。
本人が望んでいないのに、関係者へ広く話す。
「あなたは被害者なのだから、訴えるべきだ」と迫る。
自分の正しさを証明するために、本人の経験を利用する。
これでは、被害者から再び自己決定権を奪ってしまいます。
支援とは、本人の代わりにすべてを決めることではありません。
何を望んでいるのかを聞く。
今、何が最もつらいのかを確認する。
記録、相談、配置変更、休養など、選択肢を一緒に整理する。
本人が決めるための力を取り戻せるようにする。
声を上げる責任と同時に、本人の意思を尊重する姿勢も必要です。
「本人にも問題がある」という言葉の危うさ
ハラスメントが問題になると、よく出てくる言葉があります。
「あの人にも問題がある」
確かに、職場の対立には複雑な事情があります。
被害を訴える人が、すべての場面で正しいとは限りません。
仕事上の改善点がある場合もあります。
しかし、仕事上の課題があることと、侮辱や威圧を受けてよいことは別です。
指導が必要なら、具体的な行動と改善方法を伝えるべきです。
人格を否定する。
人前で恥をかかせる。
恐怖によって従わせる。
特定の人だけを継続的に攻撃する。
そうした行為まで正当化される理由にはなりません。
問題を複雑に考えることと、責任を曖昧にすることは違います。
学校はハラスメントを教えながら再生産していないか
学校は、人権やいじめ防止について教える場所です。
互いの違いを尊重する。
困っている人を孤立させない。
暴力や威圧で人を動かさない。
対話によって問題を解決する。
そうした教育を行っています。
それにもかかわらず、職員室では立場の強い人が弱い人を追い詰め、周囲が沈黙する。
この状態が続けば、学校が伝える言葉は空洞化します。
教育は、掲げた理念よりも、日常の関係性によって伝わります。
生徒は、教師同士がどのように話し、弱い立場の人をどう扱っているかを見ています。
人権教育は、授業の中だけで成立するものではありません。
職員室の中で実践されているかどうかが問われます。
管理職には「気づかなかった」で済まされない責任がある
組織の中では、すべての人に役割があります。
その中でも、管理職の責任は重いものです。
相談が上がってくるのを待つだけでは不十分です。
被害を受けている人ほど、声を上げにくいからです。
特定の職員だけが会議で繰り返し責められていないか。
業務が偏っていないか。
休職や退職が特定の部署に集中していないか。
職員が管理職の前で極端に発言を控えていないか。
相談した人が不利益を受けていないか。
日常の小さな変化から、組織の状態を把握する必要があります。
「相談されなかったから知らなかった」は、管理責任を免れる言葉にはなりません。
声を上げる人を孤立させない
ハラスメントを指摘した人が、今度は組織の中で浮いてしまうことがあります。
大ごとにした人。
空気を読めない人。
面倒な人。
組織への忠誠心がない人。
そう見なされるのです。
これでは、次に問題を見た人も黙ります。
健全な組織は、問題を隠す人ではなく、問題を知らせる人を守ります。
指摘された内容を事実に基づいて確認する。
報告した人を責めない。
相談内容を必要以上に広げない。
報復や不利益がないかを見守る。
意見を述べた人の人格ではなく、指摘された行為を検討する。
こうした仕組みがなければ、「声を上げる責任」は個人の勇気に依存してしまいます。
教師としての誇りは、沈黙によって守れない
ハラスメントに気づきながら黙るとき、私たちは自分を守ろうとしています。
立場。
人間関係。
評価。
今後の異動。
管理職との関係。
守りたいものがあるから、沈黙します。
しかし、その沈黙によって失うものもあります。
困っている同僚への信頼。
自分が大切にしてきた教育観。
生徒に語ってきた言葉への説得力。
そして、教師としての自分自身への尊敬です。
あとになって、「あのとき何かできたのではないか」と自分を責めることもあります。
声を上げることにはリスクがあります。
けれども、沈黙にも代償があります。
共犯にならないための三つの行動
すべての人が、その場で問題を止められるわけではありません。
それでも、次の三つは意識できます。
一つ目は、同調しないことです。
笑わない。
悪口に加わらない。
人格攻撃を肯定しない。
二つ目は、孤立させないことです。
あとから声をかける。
話を聞く。
必要なら一緒に相談先を探す。
三つ目は、記録と共有です。
何が、いつ、どこで起きたのか。
誰がその場にいたのか。
繰り返されているのか。
感情的な評価ではなく、事実を残します。
小さな行動でも、「誰も見ていない」「誰も止めない」という状況を変えられます。
組織を守るのは、問題を隠すことではない
学校では、問題が表面化すると、学校の信用が傷つくと考えられがちです。
だから、できるだけ内部で収めようとします。
しかし、問題を隠すことは、組織を守ることではありません。
加害行為を止める。
被害を受けた人を支える。
再発を防ぐ。
組織の意思決定や相談体制を見直す。
そこまで行って初めて、組織を守ったと言えます。
信用を失うのは、問題が起きたことだけではありません。
問題を知りながら放置したことです。
「あなたも共犯者」と言われないために
「あなたも共犯者」という言葉は、厳しく響きます。
現実には、立場や関係性によって、行動できる範囲は異なります。
声を上げられなかった人を、一律に責めればよいわけではありません。
恐怖によって沈黙させられている人もいます。
過去に声を上げて、傷ついた人もいます。
それでも、自分の沈黙が何を生むのかは、考える必要があります。
何もしないことで、誰が守られるのか。
誰が孤立するのか。
誰が「続けてもよい」と受け取るのか。
そして、自分はどのような組織をつくる側にいるのか。
教育現場を変えるために、全員が英雄になる必要はありません。
ただ、「自分には関係ない」と切り離さないことです。
目の前で起きていることに気づく。
同調しない。
孤立させない。
事実を残す。
必要な場所につなぐ。
その小さな行動の積み重ねが、沈黙の文化を変えます。
教師としての誇りは、何も言わずに自分だけを守ることでは保てません。
困っている人を一人にしないこと。
おかしいことを、おかしいままにしないこと。
それが、生徒に語ってきた教育を、大人の世界でも実践することなのだと思います。



