教師の働き方改革で、最初に変えるべきもの
残業時間ではなく、仕事を人生のどこに置くかを問い直す
公立学校教員の業務量管理に関する指針の改正案が、2025年8月19日に示されたと報じられました。
改正案では、教職員の時間外勤務について、次の目標が掲げられています。
① 1か月の時間外勤務が45時間以下の教職員の割合100%を目指す。
② 1年間の教職員の時間外勤務は月平均30時間程度を目指す。
2025年8月20日(水)朝日新聞
教員の長時間労働を減らそうとする方向性そのものは、必要です。
ただし、この数字を見て「残業が45時間以内なら問題ない」と受け取ってしまえば、働き方改革は別の形で長時間労働を固定することになります。
本当に問うべきなのは、何時間まで残業してよいかではありません。
教師は、仕事を人生のどこに置くのか。
その考え方です。
月45時間は、毎日19時まで働くということ
1か月の勤務日数を22日とすると、45時間の時間外勤務は、1日あたり約2時間です。
全日制高校などで勤務終了時刻が17時なら、19時まで学校に残る計算になります。
数字だけを見ると、「2時間なら、それほど長くない」と感じる人もいるかもしれません。
しかし、通勤に片道1時間かかる教師なら、帰宅は20時です。
そこから夕食を取り、入浴し、家事を行い、家族の世話をする。
気づけば、自由に使える時間はほとんど残っていません。
問題は、休息時間が短くなることだけではありません。
家族と落ち着いて話す時間。
自分の好きなことをする時間。
何もせずに気持ちを整える時間。
学校の外のことを学ぶ時間。
5年後、10年後の自分を考える時間。
そうした時間が、毎日の残業によって失われていきます。
教師にとって、学校を出たあとの時間は「余った時間」ではありません。
生活を立て直し、自分の人生を取り戻すために必要な時間です。
「45時間以内」が新しい圧力になる
時間外勤務の上限を示すことには意味があります。
一方で、その数字が「ここまでは働いてよい」という基準として使われる危険もあります。
月45時間以内なのだから、まだ余裕がある。
19時までは残れるはずだ。
ほかの人も残っているのだから、帰るべきではない。
そのような空気が生まれれば、上限は教師を守る線ではなく、残業を求める線になります。
学校は、明確な命令よりも、暗黙の了解によって人を動かす組織です。
管理職から直接「残ってください」と言われなくても、周囲が残っていれば帰りにくい。
自分だけ先に帰れば、仕事への熱意がないと思われるかもしれない。
困っている同僚を置いて帰るようで、罪悪感がある。
そうして、法令や指針よりも、職員室の空気が働き方を決めてしまいます。
働き方改革に必要なのは、残業時間の数字だけではありません。
定時で帰る人が、説明も罪悪感も必要としない職場文化です。
教師の仕事には「完成」がない
製造業であれば、つくる商品や達成すべき数量を把握しやすい場合があります。
売上や生産量といった成果も、数字として確認できます。
もちろん、どの仕事にも見えにくい努力はあります。
ただ、教師の仕事には、特に「ここまでやれば完成」という線を引きにくい特徴があります。
授業をもっと分かりやすくできる。
教材をさらに工夫できる。
生徒にもう一度声をかけられる。
提出物に、もっと丁寧なコメントを書ける。
保護者への連絡も、さらに細かくできる。
教師が時間を使おうと思えば、いくらでも使えます。
しかも、その努力は「子どものため」という言葉によって正当化されやすい。
長く働くことが、熱意や誠実さの証明になりやすい仕事です。
だからこそ、教師は自分で終わりを設定しなければなりません。
組織が止めてくれるとは限りません。
生徒や保護者から「もう十分です」と言われることもありません。
自分自身で、「今日はここまで」と決める必要があります。
その残業は、誰を幸せにしているのか
時間外勤務をすべて否定するつもりはありません。
緊急の対応が必要な日もあります。
行事前や成績処理の時期など、一時的に仕事が集中することもあります。
ただし、日常的に残業が続いているなら、立ち止まって考える必要があります。
その時間外勤務は、誰の、どのような幸せに貢献しているのでしょうか。
生徒の学びが明確に深まるのか。
同僚の負担が持続的に減るのか。
学校全体の仕組みが改善されるのか。
それとも、「ここまでやったのだから、自分は誠実な教師だ」と確認するための時間になっていないか。
誤解を恐れずに言えば、教師の残業には、自己満足が入り込む余地があります。
丁寧に働くこと自体が悪いのではありません。
しかし、仕事の成果と、自分の満足感を混同してはいけません。
深夜まで教材をつくっても、生徒にとって必要以上の工夫かもしれません。
すべての提出物に長いコメントを書いても、生徒が読み切れないかもしれません。
自分が抱え込むことで、組織の不合理な仕組みを温存していることもあります。
「頑張ったか」ではなく、「本当に必要だったか」を判断基準にする必要があります。
最優先すべきは、業務の精選
教員の時間外勤務を減らすために、最初に行うべきことは明確です。
◎勤務時間内に終わるように、勤務時間を過ぎたらすぐに帰宅できるように、持ち帰り仕事につながらないように、業務内容を精選する。
業務のスピードを上げるだけでは不十分です。
同じ仕事を短時間で終えれば、その空いた時間に別の仕事が入ってくるからです。
必要なのは、仕事そのものを減らすことです。
その会議は、本当に必要か。
その資料は、毎年つくり直す必要があるか。
その報告は、複数の様式で提出しなければならないか。
その行事は、現在の生徒にとって意味があるか。
その対応を、担任一人が抱える必要があるか。
ICTや生成AIで代替できないか。
学校以外の専門職へ委ねられないか。
精選とは、優先順位をつけることです。
何を大切にするかを決めると同時に、何をやめるかを決めることです。
効率化だけでは、教師は救われない
仕事を減らす。
会議を短くする。
デジタルツールを導入する。
業務を分担する。
こうした改善は、確実に必要です。
しかし、それだけでは教師の長時間労働はなくならないかもしれません。
空いた時間ができれば、その時間を授業改善や生徒対応に使おうとする教師がいるからです。
教師自身が「仕事に使える時間は、すべて学校へ渡すものだ」と考えている限り、効率化で生まれた余白も仕事に吸収されます。
だから、最優先で変えるべきものは、仕事の方法だけではありません。
キャリアの捉え方です。
キャリアは、昇進や職歴だけではない
キャリアという言葉を聞くと、異動、昇進、管理職、資格、転職といったものを想像しがちです。
しかし、キャリアは職業上の経歴だけを意味するものではありません。
働くこと。
家族と過ごすこと。
健康を守ること。
学ぶこと。
地域や社会と関わること。
好きなことを楽しむこと。
これからの人生を考えること。
それらを含めた人生全体が、キャリアです。
だからこそ、学校で評価されることだけをキャリアの成功にしてはいけません。
優れた授業をしていても、家庭生活が破綻していれば、人生全体では苦しくなります。
管理職に昇進しても、健康を失えば、持続可能なキャリアとは言えません。
学校で必要とされていても、学校の外に居場所がなければ、退職後に自分を見失う可能性があります。
キャリアを考えるとは、「仕事でどう成功するか」を考えることではありません。
「どのような人生を生きたいか」を考え、その中に仕事を置くことです。
仕事を人生の中心から移動させる
教師は、仕事を人生の中心に置きやすい職業です。
教師であることが、自分の存在意義になる。
生徒や同僚に必要とされることが、自分の価値になる。
学校で評価されることが、人生の成功になる。
しかし、仕事だけを中心に人生を組み立てると、その仕事がうまくいかなくなったとき、人生全体が揺らぎます。
異動先に馴染めない。
生徒との関係がうまくいかない。
管理職から評価されない。
体力が落ち、以前と同じ働き方ができない。
退職が近づく。
そのとき、「教師である自分」しか持っていなければ、大きな喪失感が生まれます。
だから、教師以外の自分を育てる必要があります。
家族の一員としての自分。
地域で生活する自分。
新しいことを学ぶ自分。
文章を書く自分。
趣味を楽しむ自分。
学校の外の人と関わる自分。
教師は、人生の一部です。
人生そのものではありません。
一人の時間は、キャリアをつくる時間
帰宅後の一人の時間を、ぜいたくだと思ってはいけません。
それは、長いキャリアを支えるために必要な時間です。
今日の自分を振り返る。
気持ちを整える。
本を読む。
学校の外の情報に触れる。
これから学びたいことを考える。
5年後、10年後の暮らしを想像する。
その時間がなければ、教師は目の前の仕事だけに反応するようになります。
今日を乗り切ることに精いっぱいで、遠い未来を考えられない。
すると、与えられた異動、役割、働き方を、そのまま受け入れるしかなくなります。
キャリアを主体的につくるには、考えるための余白が必要です。
毎日19時まで働くことが当たり前になれば、その余白は失われます。
残業時間を減らすことは、単なる健康管理ではありません。
教師が自分の未来を考える権利を取り戻すことでもあるのです。
時間外勤務を減らす、本当の目的
残業を減らす目的は、数字を達成することではありません。
教師が健康になること。
家族や大切な人との関係を守ること。
学校の外にも世界を持つこと。
学び直しやセカンドキャリアを考えること。
そして、自分の人生を自分で選べる状態をつくることです。
月45時間以下という数字を達成しても、教師が毎日疲れ切り、将来を考える余裕を持てないのであれば、改革は成功したとは言えません。
反対に、残業時間が短くても、仕事への不安を家に持ち帰り続けているなら、それも十分ではありません。
働き方改革の成果は、学校にいる時間だけでは測れません。
学校を出たあと、教師がどのように生きられているかまで見る必要があります。
最優先事項は、人生を再定義すること
業務を精選する。
会議を減らす。
分担を見直す。
定時で帰る。
どれも重要です。
しかし、その根底に「自分の人生をどう捉えるか」という問いがなければ、改革は長続きしません。
あえて言うなら、最優先事項は次の考え方を共有することです。
「キャリアとは、人生を包括的に捉えるもの」という考え方が大勢の人たちの間で共有されること。
教師の仕事は、人生の一部です。
家庭も、健康も、学びも、休息も、将来への準備も、同じように人生を構成しています。
学校だけを成功させても、人生全体が壊れれば意味がありません。
勤務時間を減らすことだけが、本質ではない。
効率的な仕事のやり方を学ぶことだけでもない。
すべての人が、人生という名のキャリアを再定義すること。
本質は、そこにあります。
19時まで働ける、ではなく17時に帰れる学校へ
働き方改革が目指すべきなのは、「月45時間までなら残業してよい学校」ではありません。
勤務時間の中で、必要な仕事を終えられる学校です。
教師が17時に帰っても、責められない。
家族との時間を優先しても、申し訳なく思わなくてよい。
学校の外で学び、活動しても、本業への不誠実とは見なされない。
将来のキャリアを考えることが、教職への裏切りにならない。
そのような職場をつくる必要があります。
そして教師自身も、仕事を人生の中心に置き続ける考え方から離れなければなりません。
何時間働いたかではなく、どのような人生を生きているか。
学校にどれだけ尽くしたかではなく、自分と周囲をどれだけ大切にできたか。
それを、自分のキャリアの基準にする。
教師の働き方改革は、時間管理の問題ではありません。
人生の主導権を、教師自身の手に戻すための改革なのです。



